本当のマナーとは?

お葬式に参列した時のこと、

 

ある方がご遺族の方に

「この度は本当にご愁傷様です。お疲れの出ませんように。」

というお声をかけられているのを耳にしました。

 

“お疲れの出ませんように”

 

ご愁傷様です

という言葉がよく使われるのは

それだけ意味が深く間違いがないから

なのだと思いますが、

 

なんだか決まりきっていて型通りで、

それで気持ちが伝わるのかしらと

疑問に思ったことがありました。

 

そんな時に、耳にした、この言葉。

 

比較的ストレートな表現が、

広くどんな年代にも伝わるかもしれないと思いました。

 

私にとっては、

心の辛さ痛み、疲れをいたわる気持ちを

伝えたいと思う時に、選びたい言葉との出会いでした。

 

 

 

日本には様々なマナーや礼儀作法がありますよね。

 

古くからの○○道にまつわるものから、

時代、土地、文化、シチュエーションに合わせて

 

“心がある”ことが伝わるマナー(礼儀作法)

 

わたしは、社会人になりたてのころ、

色んなマナーを知りたくて、

書店並ぶいくつかの本を手に取り、

読んでいきました。

 

そのうちに

マナーを知るって

とっても便利なんじゃない?

と思いました。

 

当時は、

丁寧な接客を心がけようとしても、

正しい敬語は出てこないわ

上座がわからないわで

恥ずかしい思いをしました。

 

誰にでも伝わる

いわゆる鉄板の表現というのは

正しさを知ったような

妙な安心感がありました。

 

じゃあ、この通りにすればいいのね!

(わ、我ながら単純💦)

 

どんなに相手のことを思った言葉でも、

どんなに心を込めたお辞儀でも、

伝わらなければ意味がない!

 

これなら、確実に伝わるんだ✨

 

経験不足や語彙力のなさ

幼い視点をカバーしてくれる道具を手に入れたと思いました。

 

 

そのマナーをインストールしてみて、

わたしの認識する世界が大きく変わりました。

 

いい方向でしょうか?

いいえ、驚くことにその逆だったんです。

 

 

 

わたしは

正しい言葉、正しい行動が

できていない人たちに

 

間違っている!と

厳しい目を向けるようになりました。

 

また、

言葉だけは丁寧で間違っていなくても、

心がこもっていない形ばかりの人をすぐ見破るようになりました。

 

その姿は、冷たく、とても失礼なものでした。

 

 

そしてそれは

正しさを手に入れたと思った

わたしの姿でもありました。

 

次第に形式ばかりのマナーになってしまっていたんです。

 

“この言葉を使えば

心がこもっていると思われるのだから”

 

そんな傲慢さが出てきたのだと思います。

 

 

 

おかしい。

 

こんなはずじゃない。

 

わたしは心が通ったやり取りをするために

マナーを知りたいと思ったのに。

 

薄っぺらく表面だけを

知識として習得するだけでは

弊害がでるだけだわ。

 

敬語ひとつ取っても、

相手が大切にされていると

心地よく感じるものじゃなくなってる。

 

「そっちも気を遣いなさいよ」

 

無言でこう言っているみたいだ。

遠くて冷たくて心通わない言葉に

いつのまにかなってしまってる。。

 

 

気付けたのはお客様との関係性からでした。

 

拙い言葉で一生懸命やり取りしていた時の方が、

関係性が良かったんです。

 

 

 

 

このことから、

ある正しさや常識は便利だけれど

万能ではないということ

 

そして、

時に知識はわたしたちの認識を変え、

見る世界を簡単に変えること

を知りました。

 

 

ここでひとつ質問です。

 

私たちは、

何を見るために、

どんな知識を得て、

どんな認識を変えていく必要があるのでしょうか?

 

 

心を伝えるとはそもそも難しいことです。

 

発信する側、受け取る側、

どちらも準備がされていないと、

疏通交流できません。

 

そのために得ていく知識とは何でしょう?

 

優れたAIが人間の代わりをし始めたこの時代

情報を入れられ処理していくAIと

情報を選び見る世界を変えていける人間

 

とりあえずわたしは

一つでも人間にしかできないことを

知っていきたいし見ていきたいです♡

 

最後まで読んでくださりありがとうございました😊