伝えるということ16
今度も割と郊外へのお引越しです。
相変わらず学校は遠く、2キロほどの距離です。
両親には、
なんで毎回遠いのよー!
たまには近いとこでもいいんじゃないの?(−_−#)
と思ったりもしたけど、
何にも言いませんでした。
今度の家は、大きくて古い家です。
ちょっと湿気ていて、
あまり光が入らなくて苦手でした。
虫やネズミ🐭も出ました。
はじめまして🐭
あまり出会いたくなかったなぁ。
黒くて小さな虫が大量発生したり、
造り付けのクローゼットの引き出しに、
ネズミが巣を作ったり。
(巣作りには私の服を利用😱)
そんな家に、四年ほど住みました。
はっきり言って地獄でした。
母はあまり体が丈夫な人ではなかったけど、
その頃は特に体調がすぐれなくて、
顔にも覇気がなく、とても心配していました。
父は仕事がうまくいっておらず、
自宅にいて電話で馬鹿笑いしたり、
テレビを見たり(ニュース、ゴルフ、囲碁、将棋など→私からするとつまらないものばかり)
お酒を飲んでばかりいたり。。
この頃一番経済的には苦しかったのだろうと思います。
母もパートに行きはじめていました。
父はそれをあまり好ましく思っていなかったみたいでした。
なんだこの空気は。
明らかに家庭がうまくいっていませんでした。
私は父のことが嫌いでした。
母のことは大好きでした。
母はなぜ父と結婚したのだろう?
常にそう思っていました。
実際に何度も母にきいていたそうです。
高校生になった私は、
これ、崩壊寸前なんじゃないの・・?
と思っていました。
でもどうすることもできなくて、
楽しそうなふりをするのがやっとでした。
心の中のモヤモヤは
ある日現実のものとして
形をもつことになります。
母方の祖父母の家が、
車で10分から15分ほどでしたので、
ちょこちょこ遊びにいっていました。
電車で一駅分離れた
川が流れる自然豊かな場所で、
のどかな風景に癒されていました。
その日は母と夜散歩に出かけた時だったと思います。
「お母さん離婚しようかと思う。」
ほのかにツンと鼻のあたりに悲しみが来ました。
あぁ、やっぱり。
とうとうきたか。
我が家は家族じゃなくなってバラバラになるんだ。
でも、その悲しみよりも、
父と離れられる喜びの方が大きくて、
ぃやったぁぁ〜!!!🎉🎉
と心の中で叫びました。
『それがいいよ。
なんでしないのかなと思ってた。』
思わず胸の内をそのまま言っていました。
私はこれ以上、母をと私たちを苦しめる、父と一緒に居たくなかったのです。
引越しと同じく、
これで離れられるなら万歳だ!
とこの時はまだ安易にそう思っていました。
つづく