伝えるということ17

実は経済苦だというのに、

私は公立の高校の受験に失敗して、

私立の進学校に通っていました。

 

学校も綺麗で、制服も可愛いし、校風も良いかんじ。

それに比べて検討していた、

公立の高校には魅力をあまり感じていませんでした。

 

親不孝な娘だなぁと思いました。

 

でも通いたい高校に行かせてくれたことを

感謝していました。

 

行ってみて、ちょっと後悔することもありました。

 

私立へ通える子たちは

比較的にご家庭が豊かな人たちです。

 

私の家はその頃、貧乏だったので、

 

自販機でお茶を買うお金も無かったし、

ポケベルやPHSを持つ余裕もなかったです。

 

みんなが当たり前に持っているものを、

自分だけ持っていなくて、

連絡を取り合うことすらできない。

 

そもそも交換する連絡先を持ってない。

 

華やかな学校の中、おさげをして通う自分が、

なんだかみすぼらしい気がして、

恥ずかしいと感じていました。

 

 

夏は喉の渇きとの戦いでした。

 

どうしようもないときは、

ウォーターサーバーで飲んでましたが、

 

裕福な子たちはお茶を買って飲んでましたから

 

私はなぜかそこで見栄を張ってしまい、

ウォーターサーバーの水を飲むことができないことがありました。

 

元々水分をとらなくても平気なタイプではありましたが、喉は常に乾いていました。

 

 

特進クラス

準特進クラス

普通クラス

 

と三つに分かれていたその学校で、

上二つは補習があり、

一年生の時はかろうじて出来ていたバイトも、

二年生に上がると時間的にしづらい状況になりました。

 

家庭では離婚することが決まり、

日々色んな話をしていて落ち着きません。

 

勉強もする気は起きませんでした。

 

父はとても頭が良い人でしたけど、

全くその頭脳を生かせていない現実を見ました。

 

私の頭の中では、

何の為に勉強するのか疑問しかありませんでした。

 

 

その頃、私の顔に異変が起こります。

 

体育祭の練習で日焼けを繰り返し、

日焼け止めやプールの塩素で刺激を与え、

体内は水分不足で、

元々敏感気味の肌質、

ストレスフルな環境などなど

 

色んな原因が重なり、

顔中にブツブツができて、

赤くはれてしまったんです。

 

一目見て皮膚疾患だとわかるひどいものでした。

 

様子を見ても自然に治る気配がないので

皮膚科へ駆け込みました。

 

薬を塗って処置をすると、

すぐに症状は落ち着いてきました。

 

ブツブツは減って赤みが残る程度。

 

ホッと一息ついたのもつかの間、

 

ステロイド入りの薬をぬるのをやめると、

すぐにまたブツブツが出てきます。

 

17歳の女の子にとって本当に悪夢のようでした。

 

鏡に映るブツブツだらけの汚い自分の顔が、

嫌で嫌で仕方がなかったです。

 

なんで私がこんな目に合わなきゃいけないの?

 

 

でも、この頃の私は

心がだいぶ麻痺していたようでした。

 

今思うと、

おそらく半分鬱のような状態だったのだと思います。

 

冬場は三日間くらいお風呂も入らず学校へ行っていました。

 

千ちゃん頭が臭いよって言われても、

 

寝ることと食べること以外

何もかもがおっくうで、

 

何をする気も起きませんでした。

 

成績も悪かったと思います。

 

 

そしてまた引っ越ししました。

 

今度は祖父母の家に仮住まいさせてもらいます。

 

少し肩身は狭かったけど、

 

お酒を飲んでばかりの働かない父親と、

ネズミと虫がたくさん出る家から、

離れられたのはとても嬉しかったです。

 

 

 

つづく