伝えるということ18

20年前のことにもなると、

記憶はあやふやですが笑

 

確か、高校二年の夏に離婚することが決まり、

その年の終わり頃から

母方の祖父母の家に仮住まいさせてもらっていたと思います。

 

祖父母は受け入れてくれていましたが、

本当は娘だけを受け入れる予定で、

子供達までは背負いきれないと話していたようでした。

 

そのようなやり取りをするのを聞いて、

とても悲しくなったのを覚えています。

 

あぁそうなんだ。

そりゃそうだよね。

厄介だよねぇ。。

 

母はパートで働いていましたが、

私と弟がまだ学生なので、

 

生活費とこれからの学費やら何やらを

稼ぐためにフルタイムで働かなければならなくなりました。

 

母にとっては

17年の結婚生活の終了とともに

本格的な社会復帰です。

 

父からの養育費の支払いは一切ありませんでした。

 

母はどんな気持ちでいたのだろう。

 

自分の年齢が近づくにつれ

様々な思いを抱えていただろうと想像します。

 

母は、祖父母に協力を得て、

医療事務資格を得るために学校に通い始めました。

 

あれこれ気になることがたくさんある中、

自分の進路も決めなければなりません。

 

 

さて、どうしようかな。。

 

 

進学はしたかったしすすめられたのですが、

大学には行きたくありませんでした。

 

どういうことかというと、

貧乏に拍車がかかった家庭の状況で行ったら

 

またもや私立高校に行った時と同じく、

キャッキャと学生生活をエンジョイする人たちに馴染むことなく、

いるだけで惨めな気持ちになったり、辛い思いをするのではないかと思ったのです。

 

奨学金も返済がきつそうだし、

借金してまで進みたい学校は無いし、

(というか、探しもしていませんでしたが。)

 

再び情けない思いをするくらいなら、

 

早く自分でお金を稼げるようになった方が何倍もいい!

そしたら家にもお金を入れられるし、

母の負担を減らしてあげられる✨

 

もうおじいちゃんおばあちゃんの目を気にしなくてもいいんだ!

 

弟が牛乳を飲み過ぎても、咎められることはないんだ!

 

経済的に誰にも迷惑をかけずに生きられるってなんて素敵なことだろう✨✨

 

なんだか希望が見えてきて

久しぶりにやる気が出てきました。

 

よし!就職しよう!!

 

と、自分の将来なのに大して考えることなく、

誰に相談もせずに社会人への道を決めました。

 

早速、学校宛に来ていた求人票をみて、

家から近くて、比較的にお給料がいい会社に応募することにしました。

 

 

つづく