伝えるということ22

そんなストレスMAX暗黒な社会人生活でしたが、

悪いことばかりではありませんでした。

 

周りのみんな、

とても温かく見守ってくれたからです。

 

よく落ち込む私の心を

フォローしてくれていました。

 

『私も若い頃は苦労したのよー』

『今日店長機嫌悪かったよね笑』

『大丈夫、大丈夫👌』

『死にゃしないよー』

『今日もカラオケ行っちゃう?』

と、声をかけてくれました。

 

就業後帰宅する際には、

特に最初の一年は毎日のように

誰かが私を車で送ってくれました。

 

話を聞きつつ夕食を食べて帰ることが多かったです。

 

気晴らしにカラオケに行ったり、

夜景を見にドライブしたり。

 

寝不足で翌日はキツくても、

少し心は軽くなり、

また頑張ろうという気持ちになれました。

 

そのうちに、

その中の1人と恋愛関係にもなりました。

 

ほとんどの人に内緒にしていたので、

就業後、会社からではなく、

こっそりと別の場所で待ち合わせて、

そこから家まで送ってもらっていました。

 

仕事ができなくて失ったものを

女性として大切にされたことで、

取り戻せたような気がしました。

 

20歳の誕生日には、

真紅の薔薇が20本届きました。

 

キザだなー💦

と思いながらもやっぱり嬉しかったです。

 

母と弟と暮らす

家賃38,000円のボロい平家に

その薔薇はあまりにも不似合いで

家族で大笑いしました。

 

腕時計、靴、ウォークマンetc

なんとなく欲しいなと思っていたものを

彼はプレゼントしてくれました。

 

他にもあれやこれやと世話を焼いてくれて

 

大切に扱われる居心地の良さから、

恋愛にどんどんのめり込んでいきました。

 

仕事もできない、

家庭環境もこんなで、

学歴もお金もなくて、

顔もまだ赤く荒れていて、

これといった取り柄もない、

 

こんな自分を

好きになってくれる人は

きっとこの先もう現れないだろう。

 

だから結婚するならこの人だな

 

心のどこかでそう思っていました。

 

 

彼との恋愛で心は癒されていましたが、

相変わらず仕事はハードで、

深夜残業も月に何度もありました。

体調はずっと悪いままでした。

 

入社時に90人いた新入社員は、

二年目に入る頃50人ほどになっていました。

 

一年で半分は辞めるほど過酷だったようです。

 

頭痛薬が手放せず、

皮膚科にも2週間に一度通っていて、

口内環境も悪く歯肉炎口内炎がしょっちゅうできていました。

 

体のあちこちから出血もあり、

『これは長く続けられないかもしれないなぁ』

と思っていた頃、

 

彼が福岡から広島へ転勤することになりました( i _ i )

 

また、同時に、

私の様子を心配していた母から、

 

祖父がお世話になっている会社で、

求人が出ているから面接に行ってみないか?

と転職先を紹介されました。

 

物は試しと思い軽い気持ちで

面接を受けてみたところ、

 

急を要していたようで、

すぐにでも来て欲しいとのことでした。

 

彼からは、

日頃から結婚願望があると聞いていたので、

 

広島へついて行くか、

それとも新たな会社へ転職するか、

 

しばらく頭を悩ませました。

 

 

つづく